使命感?

どうして20年も経営した飲食店(焼肉店)で社長を退任・退職し、今の仕事に就いたのか?

きっと当時、周囲の方からすれば突然の出来事だったのかな?と思います。

いまだに退職した真相を知らない方が多くいらっしゃって、

会うとそのお話になる事が多いです。

そもそも、私自身学生の時から「心理学」には非常に強い興味を抱いており、

その道に進む事を第一志望としていたんです。

しかし…現代の言葉で言う

「ドリームキラー」

と呼ばれる存在が周囲におり、

自分の夢や希望はことごとく否定される始末。

代表的なドリームキラーは

「父親」

なのですが、

高校時は担任の教師もドリームキラーで苦労した覚えが。

結果、私はモチベーションも上がらず、

したい事すら全否定

されながら親の仕事を手伝う事になりました。

それが飲食店なのです。

もっと時代を遡れば、

私はパニック症候群

を持っていました。

なぜか原因が分かったのは社長を辞めた後。

その原因というのは、

まさに父親…

父親から受けた暴力

その暴力で

気絶しそうなほどの痛み

に耐え抜いて意識を保ったのが、

私の人生で

一番最初の記憶

になってしまっているのですが、

そもそもその前の記憶はというと…

父親からの暴力で記憶が飛んだのだろうと思います。 

思い出せないのです。

なので、

父親の前では

恐怖が襲ってきて、

心が委縮し

声が出にくくなる。

そして、何かしらで父親から叱責を受けていると…

私はきまって嗚咽を漏らして喋れなくなる…

それもそのはず…

幼少時は気が付かなかったが…

父親からは常に二択で回答を迫られていたから。

0点でも100点でもない…

イエスでもノーでもない…

50点もあるのに、二択で迫られるものだから…

回答出来るような選択肢がない…

何も答えられない…

表現したいのに言葉がない…

苦しい…

黙秘となる…

これが私のパニックの正体です。

しかし… 父親は答えられない私に向かって

「卑怯者」

と言うのです。

これがまた悔しくて悲しくてどうしようもない気持ちになりました。

そして… 私が飲食店を辞めて、

自分で決めた道を歩み始めた時…

父親は私の事を

「失敗作」

とも言いました。

もう絶句ですよね、

40歳も過ぎた男に向かって70歳も過ぎた爺が

「失敗作」

と。

呆れて何も話したくなくなりました。

この時、ある意味自分のパニックを克服したのでは?という事も認識しました。

言いたい事をしっかり伝え、

自分の意志で人生を歩み始めて

自信を持って好きな道で成長を続けているのに

「失敗作」

と結果づけられたけども、

私の中ではまだまだ進化している最中で結果ではない

途中経過です。

言いたい奴には言わせておけ…

と思い、

ある意味強くなったような気がします。

私は… 自分の過去は不幸だったと思います。

しかしその分学びは沢山あったなと思います。

生きる術に乏しい10代の頃など親の経済力に頼るしか選択肢がないと思い込んでいました。

もっと自己決定性を強く生きていればもっと人生は楽しかったのだろう、

と思う事も多々ありますが、

私はその未完了の記憶と体験を、

今度は人のために使おうと思い、

今の仕事で私と同じような想いをする人が一人でも減るようにお手伝いをしよう

そう昔から決めていたような気がします。

ある意味、

ドリームキラーに恵まれたお蔭でその反作用が今役に立っているのですがw

でも…

でもでも…

暴力はいかんです。

気絶するほどの痛みが全身に…

あんな思いはもうしたくないし、

誰にもしてほしくないんです。

なので、

私は頼って下さる方の笑顔を精一杯守ろうと、

これまで培った料理や経営の経験も全て生かしながら、

人には笑顔になってもらえる事を継続しよう、

そう思っています。

VisionCreate:ビジョンクリエイト

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